群像劇の絵本を描いて作家コンテストに応募した

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本編

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描いた感想

某絵本大賞に応募するために描きました。結果は落選。
絵本を描くときは、読み手に対してメッセージを含めるのが一般的というのを落選してから知りました。この作品にはそういったメッセージはありません。
僕は群像劇のストーリーが好きです。頭が良くないので、作者の意図など2割も汲み取れていないと思うのですが、それでも好きです。バラバラに進んでいたストーリーが繋がった瞬間がたまらないですね。
そんな群像劇を僕も書いてみたい。でも、僕は頭が良くないので練りこまれたストーリーを書くことはたぶんできない。そんな僕でも絵本なら描けるかもしれない。そう思って、「群像劇を描く」ということだけ決めてあとはほぼ勢いで描きました。絵本を舐めているわけではありません。小説などは、設定を練りに練って作り上げるモノなのかなと思っています。それに対して絵本は、ストーリーに曖昧な部分を残してそこを読み手に考えさせる作り方なのかなと考えました。その曖昧な部分とは、設定を練った結果あえて曖昧する部分であると、今は思います。そして、それが読み手に対する「メッセージ」になるのだろうと思います。
前述した通り、僕が描いた作品には思わず考え込んでしまうような要素、すなわちメッセージは無いです。なぜなら、僕はその曖昧な部分をどうせ曖昧にするなら練らなくていいってことね、と解釈したからです。絵本舐めてますね。
そもそも群像劇になってますかね?